13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

リア充って何だ。 100日ブログカウントダウンマラソン19日目

19日目にして一目で地雷とわかりそうなテーマを。

 

こんばんは。仙崎です。

集中講義二日目が終了しました。

なんか「徒労刑」っていう刑罰が存在したということばかり考えてしまうような五コマを日中過ごしています。塾通いかよ、と叫びだしたくなります。

 

今日はタイトルにもある通り、「リア充」について思うところを。

 

恋人がいる=リア充か!?

リア充とは - はてなキーワード

 

友人と話していたときに、私は「女子力」というものの定義をどうも誤解していたらしく(無人島で余裕で生活できるスキルを発揮できることだと思っていた)、少し恥ずかしい思いをしたので、今回はこちらのページを参照した。自分が考えていた「リア充」と大差ないようだ。

 

リア充 - アンサイクロペディア

 

此方も参照した。こちらは読みものとしても面白い。

 

Googleで「リア充」と打つと、リア充を説明するページの他に、画像には男女が一緒に写真に写っているものが見つかった。

 

説明や、画像から鑑みると、「リア充」とは、「リアル(現実世界)が充実している者」のことを指し、「リアルが充実」とはつまり「恋人がいる」に繋がるのだと分かった。

 

仙崎が高校生だったころからちらほら聞いている単語ではあるが、正確な意味は今日知った。

 

 

仙崎の高校以来の友人も「彼女が欲しい」だの「女子に会いたい」だのとのたまっている場合が多い。

 

Twitterを見ても、「リア充爆発しろ」など、物騒な単語が飛び交っているのを散見する。

 

 

しかし、本当に恋人がいればリア充になるのか?

 

例えば恋人ができたとしよう。

 

晴れて念願の「リア充」になったと思うわけだ。

 

しかし、その恋人がやたら自分の時間を束縛し、恋人に時間を割くために課題も仕事も遅々として進まず、おまけに恋人付き合いのために財産が目に見えて減少した場合どうする。

 

それでも「リア充」といえるのか。いや、「リア充」といってもいいのか。

 

私はそれは「周囲に振り回され時間と財産を無駄に減らしている人」であり、「リア充」ではないと考える。

 

結局は本人が決めることなのではないか。

 

リア充」にしろ、何にしろ、「現実世界が充実しているか否か」ってのは本人が決めることなのではないかと思う。

 

必ずしも人といることが現実世界を充実させる訳ではないだろう(一緒に居て楽しい人間が恋人やサークル仲間とは限らない。惰性で続く関係もあるのだ)。もちろん、一人でいることを苦痛に感じる人間も居るはずだ。

 

その現実が充実しているか否かは本人の気の持ちようによるし、必ずしも定型化できるものではないのではないか。

 

仙崎は面倒なのであまり人とは付き合わないが(勿論恋人というやつは様々な要素が他人と比較対照された結果生じる関係なので「選ばれなかった」「選ばなかった」ということも含まれるが)、かといって別段現実に問題があるとも思わない。・・・流石に集中講義は疲れるが。

 

自分の好きなように悠々自適に日々を過ごし、その隣に誰も居なくても現実の隣にあるネット世界で嘆くほどのことでもないと思われる。この状態を「リア充」と公言するのも野暮というものだ。

 

 

恋人の居られる方は、その恋人を大切にして日々を互いの負担にならないように過ごせばいいと私は思う。別に爆発を願うほどのことでもない。

 

 

一人でも問題は無いし、二人でも問題は無いし、大勢でも問題は無いのだ。何も。

 

 

 

上記の内容に不満を抱かれた方には申し訳ありません。面倒な講義があって仙崎は疲れているのだと大目に見てくださるとありがたいです。

 

 

19日目。