13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

こういう講義ノートの取り方ってどうっすか 100日ブログカウントダウンマラソン44日目

大学三年生くらいから思いついた

先ほど、『ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング』を読了した。

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

 

 ざっくり言うと、A4の紙一枚に一つのタイトルをつけて、一分ほどで内容を書く、ことを毎日10枚続けていくというトレーニング方法が紹介されていた。

仙崎は無駄に裏紙を持っている。ゼミでの他人の発表分から、自分が印刷したレポートの印刷ミスした分、何かの募集要項から読もうと思っていたけど卒論に関係なくなった論文まで。

裏紙ホルダーと化したのは確か高校生くらいの時からだった、裏紙をゴミ箱の中から漁ったりすることもあった。

現在も毎日裏紙の束をボロボロのクリアファイルに入れて持ち歩いている。

しかし。

余りに増え続ける裏紙の束を持ち続けるのは中々に重い。家にも置いている裏紙については家族から苦情*1が来たりしている。

そして昨年から始めた講義ノートの取り方がある。A4の裏紙にノートをとる、という方法だ。

講義を聞いている途中に思うこと

大抵の講義は一コマ90分である。*2

90分の講義というのは、中々にファンキーでトリッキーなものであり、板書が全くされない講義もあれば、レジュメがきっちりかっちり配布される講義もあり、問題演習と質疑応答からなる講義もあれば、専ら学生同士の討論になる講義もある。言語も日本語に限らず、英語又はその他の言語が主となる講義もある。

人並みに、否それ以上に講義を受けてきた仙崎の大学の講義全般に対する印象としては

  1. 眠い。
  2. 飽きる。
  3. 教授のクセが強い。

である。

1,2は教授や講義ではなく私が悪いのだろうが、3は中々に厄介である。教授によってはレジュメと全く関係のない話をするくせに話の内容が試験に出る場合もある。1,2においても、面白そうだなと思って受講しても、残念ながら興味の持てる内容ではなく、しかも板書が全くされないか、ギリシア文字で書かれるという場合があり、飽きる上に長い、という悪循環に陥る場合もある。

そんな講義において、ルーズリーフやノートを購入して使う、というのはなんだか勿体無い気がしてならなかったのである。日によっては一ページも使わない講義もあり、また一ページでは収まらない日もある。レジュメが配布される講義はレジュメに、されない講義はノートやルーズリーフに、とするとどの曜日のどのコマはレジュメで、どのコマはノートなのかわからなくなる時もあった。

A4裏紙講義ノート

大学三年生のある日、もう面倒くさくなって、裏紙の真ん中に線を一本引き、左上に日付と曜日と時限を書いて、板書なり考え付いたことなりを書き殴ることにした。

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この講義ノートの取り方は意外と自分の性にあっていることが判明した。

そもそも自分は線のひかれたノートが嫌いである。その線の幅に合わせて文字を書かなければならないからである。A4の裏紙であれば大抵は無地である。好きに字も絵も図も書く(描く)ことができる。

そして、一つの講義で何枚使っても懐は痛まず、メモ書きが一行で終わってしまっても勿体無さという精神的ダメージが少ない。

 何より後処理がしやすい。

Evernote専用カメラなりなんなりで講義が終わればそのまま写真を撮って捨てるという方法もとれるし、試験まではアナログに紙媒体で保存して、試験が終わったらEvernoteという方法も取れる。勿論後からの検索も楽々である。

Evernote

Evernote

 友人と共有する際も、

 これを使えば一発。

日付ごとにノートを作成して、「大学の講義ノート」等といったタイトルのノートブックを作成すれば大学四年(六年)間の記録も容易にとれる。

これでノート代やルーズリーフ代で大学生の懐が痛むこともない。

 

どうだろうか。

44日目。

…最初の『ゼロ秒思考』のくだりと全く関係のない話になってしまった…

 

*1:専ら要らない紙は捨てろ、といった類のもの

*2:中には3時間ぶっ続けのものがあったりするらしいが、仙崎は今のところそう言った講義を受けたことがない