13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

何故英語を勉強するのか

ゴールデンウィーク真面目な話第二弾にするつもりだった


が、しかし。何の因果かパソコンに向かっている時間がなくなった上に構成を練る時間もなくなり、結局ゴールデンウィーク明けの週末更新となる始末。



気を取り直して、「何故英語を勉強するのか」について自分なりに考えてみた。


何が目的なのか?

英語を学ぶ目的は多々あると思う。

いつかは外国に行って勉強したい
海外旅行に行った時困らないようにするため
映画を日本語吹き替え版じゃない方で観たい
仕事で必要

・・・
と、人によって、そして時期によって理由は様々だ。

中には英語が好きだから英語を学ぶという人もいる。


しがない大学生、仙崎の場合

仙崎は一応外国語学部に所属している。

しかし別段英語が好きなわけでは無い。
必要に駆られて勉強しているだけ、という感じだ。
高校生の頃は分子生物学の研究者になりたかったので(今でもなりたいと思っている)論文を読んだり書いたりするのに英語は必須であろうと思って勉強していた。
現在はTOEICが単位取得に必要であれば点を出しにいき、英検が教員採用試験で試験科目免除の要件に該当するなら取りに行こうとする、といった具合である。


英語の能力を上げるために英語を勉強するのか?

多くの人にとって、英語を勉強するのは「英語ができるようになりたいから」というよりは「英語ができるようになった末にやりたいことがあるから」なのではないかと考える。

単純に英語の能力(これもまた人によって定義の異なる厄介な代物だと思う。受験生にとっては英語の問題を解く能力、ビジネスパーソンにとってはTOEICの点を出したり、国際的な交渉をしたり英文メールを書いたりする能力ということになるのではないか)をあげて満足、というよりもその能力を使った上で得たいものがあるから勉強をするのではないか。(先ほどの例でいうと、受験生は合格、ビジネスパーソンは昇進とか契約とかがあげられるのでは)

そう考えると英語を勉強する際の苦痛だとか言い訳だとか怠惰だとかが一気に霧消する。・・・と言い切れるかどうかは分からないが、少なくとも「昇進をかけて英語を学んでやる」とか「○○大学合格のために英語を学んでやる」という方が単純に「英語やらなきゃ」よりは気が楽なのではないかと。

仙崎は「金になる可能性があるのではないか?」「進級、卒業に必要」「無いよりはあった方がマシ」という身も蓋もない理由で英語を学んでいる。(全世界の英語学習者の皆様に申し訳ない気がしないでもない。共感できる方が居ればそれは嬉しいことだ)


勿論「英語が好きだ!英語を知りたい!学びたい!」という人を非難したいわけではない。絶対に非難はしない。(大事なことなので二回言います)
寧ろ尊敬する。



ただ、どうしても英語を学ぶ気力が起きない、という人の気が少しでも楽になれば、と思って(そして自分の英語を学ぶ動機を少しでも正当化するために)こんなことを考えた、というだけである。



長文失礼いたしました。