13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

ネームバリューとは何ぞや?

ゴールデンウィーク真面目な話第一弾

小学生だか、中学生だった頃の国語の教科書に、忘れられない話があった。

菊池寛 作の『形』である。

形





ちなみに、青空文庫でも読むことができる。



特徴的な装いの、勇猛で有名な将新兵衛が主君の息子の初陣の際に自分の代名詞とも言うべき鎧を貸したら、自分の鎧を身に纏った主君の息子は見事敵を倒したが、自分は敵に殺されることになったという短めの話である。

題名の『形』というものとかけ離れた話のように思われるが、実際本文中に「形」という語句は出てくる。

 こうして鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場のはなであり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼のまとであった。
「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」と元服してからまだ間もないらしい美男さむらいは、新兵衛の前に手を突いた。
「なにごとじゃ、そなたとわれらの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよういうて見い」と育ぐくむような慈顔をもって、新兵衛は相手を見た。
 その若いさむらいは、新兵衛の主君松山新介の側腹の子であった。そして、幼少のころから、新兵衛が守り役として、わが子のようにいつくしみ育ててきたのであった。
「ほかのことでもおりない。明日はわれらの初陣ういじんじゃほどに、なんぞはなばなしい手柄をしてみたい。ついてはお身さまの猩々緋と唐冠の兜をしてたもらぬか。あの服折と兜とを着て、敵の眼をおどろかしてみとうござる」
「ハハハハ念もないことじゃ」新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れることができた。
「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂きもたまを持たいではかなわぬことぞ」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。        ー『形』より
 そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵としのぎをけずった。戦いが始まる前いつものように猩々緋の武者が唐冠の兜を朝日に輝かしながら、敵勢を尻目にかけて、大きく輪乗りをしたかと思うと、こまの頭を立てなおして、一気に敵陣に乗り入った。
 吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は鎗をつけたかと思うと、早くも三、四人の端武者を、突き伏せて、またゆうゆうと味方の陣へ引き返した。
 その日に限って、黒皮おどしよろいを着て、南蛮鉄の兜をかぶっていた中村新兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々緋の武者のはなばなしい武者ぶりをながめていた。そして自分の形だけすらこれほどの力をもっているということに、かなり大きい誇りを感じていた。                                
ー『形』より

結局新兵衛は普段の自分の「形」を有さなかったその時の戦で敵に負ける。


敵・味方だけでなく、自分すらも「形」を過大に評価し、過信していた(敵の場合は過剰に怯えていた)ことが、物語最後の結末を招いたと私は考えている。

そして、この「形」には「名前」も含まれているのではないか、と思うことがある。


「名前」というものに人間は左右され易いと思う。


「有名」であったり、「肩書き」であったりにその一挙一動を千変万化させることもしばしばあることなのではないか。


「学校名」もその類のものなのだろう。


その学校に所属しているから自分は偉い、みたいなことを知り合いが平気で言った時には非常に異常に驚いた。



別に「学校名」で選ぶことを間違いだと言いたい訳では無い。何故ならそれはその人の選択の自由だからである。私がとやかく言う権利は無い。



ただ、万が一その学校が「偉い」ものだとしても、(そもそも学校の「偉さ」というものはどうやって判断するのか)そのことがその人物が「偉い」ということに繋がるわけでは無いと私は思うのである。


周りが「形」に流されても、自分が「形」に流されなければ新兵衛もまた違う結末を辿ったのだろうか。

 猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、ビクともしなかった。そのうえに彼らは猩々緋の『鎗中村』に突きみだされたうらみを、この黒皮縅の武者の上に復讐せんとして、たけり立っていた。
 新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気がついた。いつもは虎に向かっている羊のような怖気おじけが、敵にあった。彼らが狼狽うろたえ血迷うところを突き伏せるのに、なんの雑作もなかった。今日は、彼らは戦いをする時のように、勇み立っていた。どの雑兵もどの雑兵も十二分の力を新兵衛に対し発揮した。二、三人突き伏せることさえ容易ではなかった。敵の鎗の鋒先が、ともすれば身をかすった。新兵衛は必死の力を振るった。平素の二倍もの力さえ振るった。が、彼はともすれば突き負けそうになった。手軽に兜や猩々緋をしたことを、後悔するような感じが頭の中をかすめたときであった。敵の突き出した鎗が、縅の裏をかいて彼の脾腹ひばらを貫いていた。       ー『形』より


「形」に見合った実力、或いはそれ以上の実力を兼ね備え、「形」を過信せずして初めて、「形」の威力を十二分に発揮できるのだろう、と思う。


そう考えると、「形」や「名前」に右往左往するのが如何に馬鹿らしいことかを思い知らされる気がする。




・・・大して真面目な話でも無い上に、思考がいつにも増して纏まっていない長文、失礼致しました。