書くことは、考えること 100日ブログカウントダウンマラソン55日目
今週のお題「書くこと」
Q.大学時代に何か打ち込んだことはありますか?
A.キーボードを使ってパソコンにレポートを打ち込みました。ええそれはもう熱心に。
・・・とまあ冗談は置いておいて。
今週のお題は「書く」に纏わる話、ということで、書くことが職業になりはしないけれども業務内容に含まれうる学生を続けて十数年、仙崎が書くことについて何やら語ってみたいと思います。
最近は書くことがめっきり減った気がする、というのは気のせいで(気の迷いで)、これだけPCやスマホ、タブレットが普及しつつあるにもかかわらず、書くことは消えはしない(描くことも消えはしないだろう)。
大学の講義は一応手書きだ。A4無地の裏紙の真ん中に線を引いて、左上に日付と時限を書き、講義内容をメモしていく。無地なので自由が利き、A4裏紙は日常のどこででも手に入る。書きおわった内容はアプリを使ってEvernoteに保存。ザ・ペーパレス。
予定の管理は手書きとiPhone。講義中iPhoneが使えない時は手帳やメモ、それこそ前述のA4用紙に書き、あとでiPhoneに入れる。
こう書いてみると、何だかんだ言って結局最後はデジタルかよ、ということになりそうだ。
ハナからデジタルという場合もある。文書を作成するときなどで、ネタをiPhone上に打ち込んでおき、あとはPCにデータを移して体裁を整える、とか、メールとか。ブログにしたってPCかiPhoneだ、直接「書いて」いるわけではない。
ただ、本当に突発的に浮かんだネタや、後々まで使えるネタは紙に書いている場合が多い。
突発的に何かが浮かんだが、しかし近くにiPhoneがない、或いは使えないという場合。大体は紙に書いてある。紙に書いておく。そういった紙束が余程のことがない限り消えないのも事実。
小説のネタは格好つけてMOLESKINEに書き溜めてある。
書いた方が「地に足の着いた思考」が出来るような気がするのである。やはりどれほどデジタル機器が発展しても、現在の所手書きの思考速度に勝るものは無いのではないかと思う。
既に思考がまとまっていて、あとは打ち込むだけ、というときならば手書きよりもデジタルの方が早い。パソコンで打ち込む方が書くよりも速いだろう。
しかし一から思考する、閃いた何かを記録する場合には手書きの方が速いし、精確なような気がする。どうしてもデジタル機器の場合、「思考をデジタル機器の様式に合わせなければならない」という弊害が生じてしまうのである。紙ならば「記録媒体の方を思考に合わせる」ことが可能である。
インドネシア語のディクテーションを毎時限してこなければならないという講義があったが、その時もまずは手書きで聞き取りながら書いていた。最終的にはPCに打ち込まれ、プリンターで印刷されるのだとしても(仙崎は字が綺麗な方ではない)。
昔は「書いてなんぼ」の世界、所謂受験生をやっていたが、そのときでも頭の中だけで考えるのと、実際書いてみるのとでは記憶にも理解にも格段の差が出た(それは単に仙崎が一般人なだけであって、天才は違うのかもしれないが)。書けば幾許かの点数は貰えるかもしれない、だが書かなければその時点で0点以外の点数になることは無い。それならば幾許かの点数に賭けて無駄なあがきであったとしても足掻いた方が得だ。
・・・勿論、「書く」ための道具がカッコいいから、というのも理由にある。
何はともあれ、まだまだ書くことは絶滅しそうにもない。
ゾロ目の55日目。