100日ブログカウントダウンマラソン91日目:腕時計が壊れた話
嬉しい時も悲しい時も
本日は、13時からが昼休みだった。誰も居ない公園で一息つき、弁当を食べるその時間だけが一日職場で働いているうちで最も気の休まるときである。
ふと携帯電話の画面を見ると、休憩時間の終わりにさしかかっていたため、そろそろ戻るか、と公園の椅子から立ち上がった。腕時計の時間を見たら、携帯電話の画面より10分遅れていた。
果たしてどちらが正しいのか、首を傾げつつ無料メッセージアプリで知人に尋ねると、携帯電話の画面が表示した時間が返ってきた。
自分が身につけている腕時計は中学三年の時に購入したもので、ソーラー電波腕時計であるために、時間が狂うことは無い、はずであった。
掛け時計ではないが、100年も動いてはいないが、寧ろその10分の1ほどしか動いてはいなかったが、文字通り嬉しいことも悲しいことも皆知っている時計である。
高校受験も、大学受験も、浪人生活も大学生活も、教育実習も就職活動も資格試験も日々の大学の講義も早朝電車に乗っているときも全てを知っていると言っても過言ではない時計だ*1。
試験中机の上に居るのは筆記用具、受験票、そして時計である。
その試験中のあらゆる局面で自分を支えた時計が正しく時間を表示しなくなってしまったのである。
割と衝撃は大きい。
午後から腕時計についているスイッチを色々と押してみたが、異常が直りそうな気配は今のところ、なさそうである。
動かないのではなく、時間が狂う
それでは現在の時計の様子を。表示されているのは明日の時間だ。
日付の所が20日になっている。
果たしてこれは、10年使い続けたために来た寿命なのか、将又仕事で疲れを溜めている自分の心身の不調を訴えるサインなのか。
そういえば最近どこかにぶつけたような気もしないでもない。
買い替えは検討しているが、直るようならば直ってほしい。
ただまあ、次の展開、人生の次の局面を志向している現在において、一度リセットの意も込めて新しい時計にした方がいいのだろうかとも思っている。非常に名残惜しいが。
91日目。
最後に、時に関するこの曲を。
*1:知らないときがあるとすれば就寝中と風呂に入っているとき、海外旅行に出かけたときくらいだろう