13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

2周年を3日過ぎた 100日ブログカウントダウンマラソン103日目

破れかぶれの100日だった

そんなこんなで。気が付いたらいつの間にか100日が過ぎ去っており、気が付いたらいつの間にかこのブログも2年を迎えていた。

13のジャンルを扱うブログにしようと当初は考えていたが、現在カテゴリ数は17ある。

当初の構想通りの記事もあれば、当初は考えもしなかった記事を書いていたりもする。

今年は日本に居たので100日毎日カウントダウンできるかと思いきや、そうでもなかった。最近は急にスコンと意識が抜けることが多々あったし、夏頃は更新するには忙しすぎた。忙しさを言い訳にはしたくは無かったが。

現在も忙しいといえば忙しい。大学生活四年間の締めくくりの時期に来ているからである。

憎しみの果てに

約一年前にも書いたのかもしれないが、このブログを始めたきっかけは、京都大学の編入試験を終えて一段落ついたことだった。

戦いは終わった。老兵は死なず去りゆくのみだ。もうこの嫌いな大学ともおさらばだ。ならば残りの日々と、新しい場所での日々を此処に足跡として書き綴っていこう。

そんな事を考えながら、ブログを更新していた。

2013年の暮れ。編入試験の不合格を知った。

また二年。あと二年。この大学に居なければならない。どうしようか。急にふっと出てきたモラトリアム期間のようなものだ。もう戦わなくてもいい。まだ戦わなくてもいい。ならば、今まで出来なかったようなことを経験して、それを新たな足跡として遺していこう。

入学当初から憎しみの対象であった私の通う大学は、今となっては、好きな所も嫌いな所も、お茶目な所も頼りになる所もある、少なくとも「憎しみ一辺倒」ではない場所になっていた。

今となっては選べ得ぬ選択肢の先を想像するしかないが、その選択肢を選んでいては経験できなかったようなことも、この二年で経験してきた。今卒業論文を構成しようと必死になっているテーマはその最たるものである。

怒涛の日々もあれば、春の陽に照らされた穏やかな日々もあり、洪水や警報の嵐に晒された日もあれば、凍え死ぬような日もあった。その全てを此処に遺している訳ではないが、断片的な、それでいて人生の一部分を抽出して人に伝えるような形にしたものは、ちゃんと残っている筈である。

今までも、これからも。

2周年を過ぎて、これからも多くの記事を、今まで以上に書いていきたいと思う。

下書きばかりがたまっているが、それも少しずつ記事にして投稿したいと思う。

最近試験の記事が多いが、それらの結果も含めてここ最近の様子を纏めた記事も投稿したいと思う。

 

これからも、ブログ「13面体の賽子」を宜しくお願い致します。

103日目。