健康で文化的な最低限度の生活 100日ブログカウントダウンマラソン10日目
たとえ、憲法がどう変わろうとも
現在、憲法に関する問題、特に9条に関する問題で揺れに揺れている。…と、評するのが果たして適切な表現であるかどうかは別の問題であるとして、仙崎には憲法から絶対に削除してほしくない条項がある。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
日本国憲法第二十五条より引用
勿論第十九条であったり、第二十三条であったり、第二十六条であったりも非常に重要であるし、何に変えても削除されたり、改変されたりしてほしくない条項であるが。
健康で文化的な最低限度の生活に必須なものは?
中学三年生のころだったであろうか、仙崎は公民の授業で社会の先生から、こんな話を聞いた。
「健康で文化的な最低限度の生活において必要なものは、風呂である」
うろ覚えであるが、趣旨は間違っていないと思う。
この先生は大学生の頃下宿に風呂がなかったらしい。この話を聞いた当時は実感がまるでわかなかったが、大学三年生の時にインドネシア・スマトラ島アチェに訪れたときに、その言葉の真の意味を知った。
得体のしれない水で水浴びを行った生活では、ホテルのシャワーにありつけただけで天にも昇る気持ちだった。日本に帰って来てから風呂に入った時には更なる感動があったが。
某風呂漫画がこれほどまでにヒットする理由もこんなところにあるのではないかと思う。
その社会の先生の話に付け加える形にはなるが、仙崎が健康で文化的な最低限度の生活に必要と考えるものに、風呂と水洗トイレ(手動ではない)を挙げたい。
文化的な生活
長い前フリになってしまったが、最近、文化的な生活が非常に脅かされている、浸食されていると感じている。
日常やらねばならない事柄の幅が広がり、それに伴ってタスクが増え、移動が増え、アウトプットが増えてしまった。
それに反比例するかのように、インプットする時間が減って、自分で何かを考えてみたり、本を読んだり、楽器を演奏したりする時間が減ってしまった。ブログをこうして更新する時間が減ってしまったのも上記のいくつかが原因である。*1
借りた本には延滞が目立ち、卒業論文の執筆に向けては何も動いていない状態である。
「健康で最低限度の生活」は今のところ、問題なく送ることができているが*2、「文化的な」となると、少し疑問が生じる今日この頃である。
10日目