今までと、これからと。~10年は人を変えるのに十分な時間か?
今週のお題「10年」
取り敢えず今期の提出物は全て提出した。2月にあと残っているビッグイベントとしては、英検一級二次試験と今期の成績発表くらいだろう。
少しは心理的余裕が出来たので、今までの10年を振り返ると共に、これからの10年を考えることにした。
2005年2月は何をしていたか?
10年前、自分は小学生だった。10年もあれば小学生は大学生になるのである。
小学生とは言え、数か月後には中学生になる身であった。所謂「卒業式の練習」に明け暮れさせられている状態であった。
確か、卒業式では「キャンプファイヤー」と叫んだ気がするが、仙崎はキャンプファイヤーをしていない。
今でこそ2月は余裕溢れる悠々自適な春休みライフを送ることが可能な期間になっているが、昔はそうでなかった、ということを思い出した。
10年の間に、2回居住地を移した。
10年の間に、数えきれないほどの試験を受けた。
10年の間に、同じ大学を3回受けて3回不合格になった。
10年の間に、何度か旅行に行った。…そのうちの2回は修学旅行だが。
10年というのは、振り返ろうとすると「昔、昔」になるのだが、生きている間は結構全力で、それでいてとても短い気がする。一年一年はとても短く、すぐに過ぎ去ってしまう気がするのだ。
10年で自分が変化したのか、と言われれば、外見はもとより、内面も随分と変化した気がする。
10年前に抱いていた夢のうち、いくつかは実現したが、まだ実現できていないものもあるし、10年前の自分が聞いたら愕然としそうな事態にもなっている。(すまん、昔の自分。海外の高校に行って海外の大学を出て岩石系の研究者になるという夢は実現できていない)
ただ、意外と10年前の自分と繋がっている点もあったりする。(喜べよ、昔の自分。2003年に学んでいたインドネシア語だが、今それを勉強している。言語も含めた文化も。君は、アボリジニの文化に興味を持っていたな。今似たような感じでインドネシアの文化を勉強している。2003年に君は大学の図書館に入り浸っていたわけだが、今も同じく大学の図書館に入り浸りまくっている)
なんだかんだ言って変化はしているが、変わらない根っこの部分もあるのではないか。
2025年2月、自分は何をしていたいか?
それでは、これからの10年のことを考えてみよう。
10年前と今とで大きく変化していることがあったように、現在、大きな変化の岐路に立っている。つまり、10年後さらに変化している可能性があるということである。
この春休みから、就職活動が開始ということになる。これも、大きな変化の前触れである。
10年前の自分が願ったように鉱物系、岩石系の研究者になって一生を過ごすことは今のところ不可能になっているし、そもそも興味が他へと移ってしまった。(10年前の自分に言おう。高校2年生の時に君はオープンキャンパスに行って鉱物系の研究者の人たちに出会ったが、高校3年生になって生物Ⅱを勉強しだしてから、興味がバイオ系に変わっている。で、結局大学に不合格になって、前々からPlanB(代替案)にしていたインドネシア語の道に進んでいる)
そうなると、自分の興味が今後他へと移る可能性も大いにあり得る。(で、2年前の自分に言いたいことだが、途中で別の大学へ編入してイスラーム法を学ぶという目論見は失敗している。今は、伝統医療とか、医療人類学とか、民俗医療について調べている所だぜ!大学に入ったばかりの時には思いつきもしなかったような魅力的な学問分野があるんだぜ!それに気が付いたのはつい7か月前だが)
此処での選択が、10年後に影響を及ぼす(10年後とリンクする)可能性も大である。
一応今この時点で10年後の自分には、「来年から自分は働き出す予定だが、10年後には、国内であれ、国外であれ、もう一度大学(院)生であること!」ということだけ言いたい。
来年には、大学を卒業する。
その後どうなるかはわからないが、一生涯にわたって勉強を続けていきたいし、続けていこうと思っている。きっとまた別の分野で大学に行きたくなるはずである。そうなった時のために、10年後のために、自分は今勉強をしておきたいと思う。