13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

インドネシア滞在記4:To be, or not to be… 100日ブログカウントダウン79日目

頭を洗う踏ん切りがつかなかった。(お食事中の方は本記事を読む際には十分に気を付けてください。気分を害する恐れがあります。くれぐれも自己責任でお願いします)

 

マンディするとき、こう叫ばずにはいられなかった。
 
マンディとは、水浴びのことである。
 
若き頃の仙崎は、「ああ、きっと暑い国だから水浴びなんだな」とのほほんと考えていたものである。・・・今なら、そうでもないと胸を張って言える。
 
暑い国でも水を浴びれば寒い。
 
 
昨日紹介した、大学の寄宿舎のマンディ場、がこれである。
 
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手桶で水を掬って頭・体を洗え、ということらしい。
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水が出ない時もあるのでたまった水でマンディすると聞いていたが、流石に色々と心配になった仙崎は、蛇口を捻って出てきた水しか使わなかった。
 
そうなると、
頭を洗っている最中に水が出なくなったらどうする→たまった水を使用するの一択
 
という図式が頭の中に浮かび、頭を洗う踏ん切りがつかず、二日が過ぎたこともあった。
 
また、現地の人々は朝と夕、お祈りの前にマンディをすると聞いたのだが、夕方のマンディは滞在中のあれこれといった予定から確実に日の落ちた時間帯にせざるをえなくなることから、風邪をひくなどの心配もあって私はウェットティッシュ(日本から持って行っていた)で体をふくにとどめておいた。朝は6時~7時の間にマンディをするようにしていた。それでも寒いことに変わりは無かったが。
 
また、いつ何時水が出なくなるかわからない逆ロシアンルーレットのような蛇口(たまに水が暴発?するので超ビビった)だったので、非常に短いマンディ時間にならざるを得なかった。現地の人に非常に不思議がられたものである。
 
頭を洗う踏ん切りがつかなかった理由は、もう一つある。
 
仙崎は眼鏡ユーザーであり、今回インドネシアに行くにあたっても眼鏡を使用していた。
つまり、何が起こるかわからないマンディ場でうっかり眼鏡を外そうものなら、忽ち防御力0。アチェについてから2日ほどは、頭を洗う気力がなかった。
 
 
更に踏ん切りがつかなかった事柄がある。・・・トイレだ。
 
やはり現地の食事を取ると、使用されている油の違いか、はたまた何か悪い食べ物にでも当たったのか、腹を下すことがある。・・・それも、頻繁に。
 
腹部が異音を立てているのは重々承知しているが、肝心のトイレがこれである。流石に裸足で用を足すわけにもいかず、その時ばかりは持って行っていたスリッパを使用した。
トイレに行くのも一苦労だが、問題は流れるかどうかである。
何処にも流れそうな機構がなかったため、これは大丈夫なのかと、逡巡を繰り返し、出来る限り出先の洋式トイレで用を足していた(KFCは洋式水洗トイレだった。西洋資本主義に少し感謝した)。
取り敢えず何やかんや流れるものは流れるのだろうと自分を納得させ、用を足していたが、見ての通りザ・和式である。日本に帰ったら是が非でも体幹トレーニングをせねばならないと心に決めた。
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マンディの貯水槽(?)に隣接するトイレ。手桶でたまった水を掬って流す。これぞ究極のユニットである。トイレットペーパーのような洒落たものは存在しない。たまった水を使うらしいが、今回仙崎は友人(インドネシア留学)の助言に従って、水に流せるティッシュを持って行っていたのでそれを使用した。
 
ここまで書き綴れば後は些末なことにしかならないのだが、時々戸の壊れたマンディ場に遭遇することがあった。(寄宿舎のため、マンディ場は各階8つぐらいあった)
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このマンディ場も戸が壊れていたが、結構ギリギリまで戸を立てかけていたと思う。
床面は常に湿っていた。
 
 
マンディの説明に終始したので、明日はアチェで他にも経験したことを書きたいと思っている。
 
79日目。