13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

待つということ 100日ブログカウントダウン43日目

何を待つかということは、何を待たないかということに繋がるのかもしれない

現在、高校の友人との待ち合わせのために書店で図書館で借りた本を読みつつある。

民俗医療の人類学―東南アジアの医療システム

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仙崎はよっぽどのことがない限り人を待つことの方が多い人間だと自負している。「待たせる」よりは「待つ」方が気楽だからである。

これに対し、大学の友人には「待つのが嫌いなので少し遅れて着くようにする」という考え方を持つ人もいる。それはそれで一理ある。

昔待ちぼうけを食らったことがあるが、それでも「待つ」選択をするようにしている。

そこまで考えているわけではないが、「待つ」ことで心に余裕ができ、色々と考えを巡らせたりできる→ひいては不利な状況に陥った時の脱出経路とか相手を連れ出すのに良さそうな場所を探したりできるといった利点もあって「待つ」一択、というスタンスを取っている。


今までそういった状況になったことはない。が、

好機を「待つ」

挽回の時を「待つ」

熟成を「待つ」

ためにも、普段から「待つ」ことに慣れておいて損はないと思う。

「待つ」間にもやることはたくさんある。

時期が来れば転じて一気に行動するための待ち時間でもあるからだ。

目の前の書棚に気になる本がある。


インドネシア芸能への招待―音楽・舞踊・演劇の世界

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43日目。