ピアノの前に佇む人 100日ブログカウントダウンマラソン38日目
ピアノを弾いているからといって、ピアノのことを考えているとは限らない
高校生の頃は弦楽部的な部活動をやっていた。
チェロを弾いていたが、ゴーシュよりもかなり下手であると自負していた。
弦楽部とはいえ、全員初心者(幽霊部員にしてエース、という人もいた)、楽器は学校の備品を使用(たまに購入してくる猛者がいた)。
毎日真面目に、時に不真面目に、下手なりにも好きな音楽を奏でたり、何かのイベント(卒業式など)に呼ばれたりしていた。チェロを片手に爆睡していたこともある。
自分は目の前のことに集中しているように見せかけて全く別のことを考えているということが特に楽器の演奏中にはよくあり、チェロを弾いているときも今晩の夕食はなんだろうか、といったことを大真面目に考えていたり、5限の数Ⅲ訳分からなかったな、という愚痴を心の中で零していたりしていた。・・・その結果、チェロの癖にバイオリンパートを無意識に弾いていたこともある。(確か曲はブランデンブルグ協奏曲第三番第一楽章だった)
祖母の家にはピアノが置いてある。
半ば棚と化しているアップライトピアノだ。
仙崎はピアノは辛うじて楽譜を読んで、両手で適当にならばたどたどしく弾ける程度だ。
楽譜は時間はかかるが読める。作曲的な何かをしたこともある。
決して上手くは無いが、折に触れるごとにピアノの蓋を開き、何がしかの旋律を奏でる。
チェロの時と同じく、ピアノを弾いているからといってピアノのことを、ひいては演奏している曲のことを考えているとは限らない。
勿論自分でも驚くほどの集中力で何かをやっている、ということも多々ある。
だが、自分が楽器を前にするとき、大抵は楽器を前にしていないのだと思う。
楽器を前に、何か他のことを考えているかもしれないし、考えていないかもしれない。
楽器を奏でることで、今抱えている問題から逃げようとしているのかもしれないし、楽器で奏でた音が何かを叫ぼうとしているのかもしれない。
きっとそんなことを考えながら、かつてはその下手さのあまりに、今は金銭的に、手にすることが出来ないチェロの代わりに拙いピアノを、異国の笛を奏でるのかもしれない。
ピアノの前に座っているからといって、ピアノのこと以外を考えてはいけないという訳ではないと思っている。
まあ、下手の横好き根性といったものなんだろう。
38日目。