13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

ほとんどの教員は好きではなかった 100日ブログカウントダウンマラソン52日目

今週のお題「思い出の先生」

仙崎は学校も嫌いだったが、教員もなかなかに嫌いであった。
嫌いになるには相応の理由が存在するのだが、先ず勉強内容が制限されること、面倒ごとを押し付けてくること、「叱る」のではなく怒鳴り散らし当たり散らすこと、謎の先入観を持っていること、が挙げられた。
特に小学校・中学校の教員はかなり嫌いであった。
高校に入学しても、ほとんどの教員が嫌いではあった。
だが、数人、こういう年の取り方をしたい、と思わなくもない人もいた。
とある数学の教員は、とても聡明で、心から妻を愛しているのだとわかるような人柄の人だった。教え方はとても上手く、数学の本質を理解している人なのだと思った。
とある古典の教員は、御年80近く。教科書の全ての文章の現代語訳を記憶しており、60分近い授業をこなしていた。一度授業時間変更が伝えられておらず、勝手に帰ってしまったことを誰も知らず、校内に激震が走ったこともある。
とある物理の教員は授業を担当していただけることはなかったが、友人を通して面識はあった。とても面白い物理の授業を展開することで有名であった。
とある生物の教員は、試験の解答解説を筆ペンで書き、考えていることはきっと天才なんだろうな、と思わせるような人だった。動植物をこよなく愛し、色々な楽しい実験をさせてくれる人だった。
とある化学の教員は、授業を担当していただけることはなかったが、退職される時に、体育館の壇上でバーナーを使って実験をするというパフォーマンスで周囲を色々と驚かせた人だった。物腰は温厚な人だった。
とある物理の教員は、授業を担当していただけることはなかったが、部活の顧問の先生だった。哲学的で、バイオリンの演奏がうまく、教員よりも研究者のような雰囲気の人だった。そして、子供が好きそうな人だった。

上にあげてきた人々は、何れもこのようにして年をとっていきたい、と高校時代の私に思わせた人々である。今私がその人々に近づけているかどうかはわからないが、多くの教員に会う中でこういった人々に出会えるというのは幸福なことであるし、多くの教員の中からほんの一握りしかこういった人がいないということをかみしめていきたいと思っている。

52日目。