13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

とある外国語学部生の英語と進路に関する意見 100日ブログカウントダウンマラソン47日目

特に英語の好きな中高生、浪人生に読んでもらいたい

とかって偉そうに書いてみたが、別に読んでも読まなくても、「英語の好きな」に限っても限らなくても良いし、中高生や浪人生以外が読んでも問題はないと思われる。

いつもこういった記事を書くときには書くことなのだが、仙崎のブログ記事を読んだ結果起こる事柄、ブログ記事を読んで行動した結果等については、責任を負えませんので、悪しからず。

英語ができない訳ではなかった、だが好きな訳でもなかった

昨日「今学んでみたいこと」に関する記事を書いていて、ふと思ったことがる。

自分は別段英語が好きではないし、英語に興味があるわけでもない

仙崎は現在外国語学部に所属している。が、元々外国語学部に入学したかったわけではなかった。*1

特に英語専攻とか、英米語学科には絶対死んでも入ってやるもんか、と思っていた。もしタイムスリップすることができて、現在の状況を高校生の自分に伝えることができたとしたら、多分2,3発は殴られるはずである。

 

理由はまあ単純なもので、英語が好きではなかったからである。英語に興味が持てなかったといった方が正しいかもしれない。英語の成績が悪いわけではなかったし、英語ができないか、と言われればそうでもなかった。

英語で書かれた理系の論文などを問題なく読めるようになりたい、というのがそもそもの英語学習の発端であったので、英語という「過程」ではなくその先の「結果」のことしか考えていなかったのである。

英語よりは寧ろ数学、化学とかの方が好きであった。点数は悪かったが。

高校一年生の時の担任に、「仙崎は英語の点数がいいから外国語学部に行くんだよな!?」と言われたときにかなり腹が立ったことがある。それはいかにも筋が通っているように見えて全く筋が通っていない、と言いたかった。

 

自分は比較的好奇心が旺盛な方ではあるが、こと英語に関しては全くと言っていいほど興味が持てなかった。ので、センター試験を終えた後、さて国公立後期はどこにするか、文系で興味が持てるものはあまりないしな*2、興味が持てる学部がないなら、次の選択基準は金が儲かるか儲からないかだ、と考えたときに外国語学部は外国語学部でも、英語専攻とか英米語学科だけはいくら偏差値が高くともいくら合格可能性があろうとも絶対に選択しないぞ、と固く心に決めた。

 

そんなこんなで現在は東南アジアのことについて学んでいるわけであるが、やはり英語は好きにはなれない。一応大学の授業でも英語の授業はあるが、「文法」とか「英語に関するあれやこれや」といった講義を取らなくてもよかったのが自分の中では幸せである。*3

それは必ずしもイコールで結ばれるとは限らない

で、無理やりな話の戻し方をする。

英語の好きな中高生や浪人生に言いたいことがある。君たちが英語が好きなのは、何故かと。もしも、英語の点数が良いから英語に関する進路に進みたい、と考えているのであれば、少しだけ考えてほしい。勿論沈思黙考し熟考に熟考を重ねたうえで、それでも英語に関する進路を選択するならばそれでいいのかもしれないが、「英語の点数が良い=英語が好き」と考えるというのはまた違う気がする。

それは単に得意であるというだけで、もしかしたら君たちの好きなものであったり興味の持てるものはまた別のところにあるのかもしれない。それを考えることなくして英語に関する進路を選択する、というのは安易であったりする。

勿論、各人にそれなりの事情があることはわかっている。「あの高校に憧れの先輩がいるから行きたいんです」「学費の面からこの高校の英語コースにしないと…」「英語の先生になりたいから…」「英語は好きではないが、少しでもランクの高い大学に入りたい!」「お金がかかるから国公立にしなければならない…」「家から通える近場の大学にしなければならないが興味の持てる学部がないんだよ」「〇◇大学に入学したい、学部は不問だ!!」etc...

それでも、可能な範囲で自分がその高校・大学に入ってからやりたいことは何なのか、少なくとも三年間/四年間かけてお金を払ってまで学びたいことは何なのかを考えてほしいというのが自分が色々と遠回りしたり道草を食ったり、様々な友人たちの選択する姿を見たりして考えたことである。

何が後々になっての「正解」なのかはわからないが

 そういう仙崎の選択が正しい、正解だとは思わない。正解はそれこそその人の数だけある。だから、言えるのは「少なくとも点数だけを見て決断を下すのはやめた方がいい」ということである。点数と、そしてそれと同じくらいかそれ以上に自分を見た方がいい。点数の良し悪しをそのまま結び付けられる性格なのか、そうでないのかといったことや、自分が進路を選択するうえで何を大事にしているのか、といったことなどを。

その上で「やっぱり英語の点数が良いし、英語が好きだ」と考えるならその道を進めばいいし、「どうやら違う気がする」と思えば別の道を模索することもできる。

重要なのは自分で考え、心配な時には周囲に相談し、そして自分で決めることだと仙崎は思っている。*4

好きではなくても油断はするなよ

そして、此処からは英語の好き嫌いにかかわらない話である。前フリが異常に長くなってしまった。

英語が好きであろうとなかろうと、英語ができないよりは英語ができた方が良いということは明白である。何を以てしてできるとするのかは個々人の置かれた状況によるが、自分の望む「結果」なり「目的」なりが英語という「過程」を超えた先にあるのだとすれば、好きだろうと嫌いだろうと無関心だろうと、やらずに避けることはできない。*5

clown-crown0798.hatenablog.com

とはいえ、これは英語に限らず様々なことに言える気がしないでもないが…

 

長々と分かりにくい文章を書いてしまい申し訳ないです。

夏も過ぎつつあるこの季節、そろそろ進路を考えだす47日目。

 

*1:寧ろ高校時代の仙崎が入りたくない学部ランキングの一位、二位を争う学部だった。

*2:浪人生の当時、法学部や経済学部にもあまり魅力を感じなかった

*3:それでも一定数は講義を取らなければならないが

*4:自分で決めるということは、大抵の場合責任は自分で取るということになる

*5:英語という「過程」の先に自分の望む何かがないならば、やらずに避けることもできるのかもしれないが、その辺は如何なのだろうか