13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

例えばこんな数字とか 100日ブログカウントダウンマラソン62日目

ににんがし、とか富士山麓にオウム鳴く、とか

掛け算の九九を小学校の低学年で習う。

ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅう・・・

これはなんだかすごいシステムだと思うのである。

英語にはそんな語呂合わせはない(と思われる)。掛け算の対応を全て覚え切らねばならない(か、電卓を使うか)、ということになる。

2桁×2桁とか、2桁×3桁の筆算は紙とペンがあれば難なくこなせるが(珠算のプロとかならばもっと出来るだろう、しかも紙もペンも使わずに)、英語圏の人々はどうやっているのだろうかと思う時がある。

語呂合わせとは智の集積、知の遺産と言えるんじゃないかと。

色々な語呂合わせに助けられてきた人も多いのでは。特に歴史とか。√の概算にも素晴らしい語呂合わせが多い。異色なところでは周期表のタテの語呂合わせとか。

英語で語呂合わせが作れるかというと、少し考えざるを得ない。ににんがし程の便利な語呂合わせは流石に難しいのではないかと。

語呂合わせに向いている言語、向いていない言語という分類はあるんじゃないかと私は考えている。



数字を表す言葉についても言語ごとの特色が表れているんじゃないかと思う。
11は「じゅういち」と読んで、「じゅう」と「いち」に分けて考えることができる。

英語で11は"eleven"。10を表す"ten"も、1を表す"one"も、見る影も無い。12もそうだ。13から19までは「数字+teen」となっているが、そんな傾向は20以降には見られない。不思議である。

また、インドネシア語では11は"sebelas"、12は"dua belas"、13は"tiga belas"・・・と19まで"belas"がつくが、20以降は「数字+belas」の傾向にはならない。

英語もインドネシア語も11〜19は他の2桁の数字とは一線を画している。理由が気になる。

インドネシア語で他に気になったのが8と9の単語の長さである。8は"delapan"、9は"sembilan"と、長く感じる。インドネシア語も語呂合わせは少し難しそうだ。・・・私が知らないだけかもしれないが。

桁の数え方も日本語と英語、インドネシア語では異なる。やっぱり大きな数になってくると、日本語の位で考えてしまう。


ディクテーションをしたり、長文を読んだりすることは多々あるが、数字だけは日本語をベースに考えざるを得ない。処理のスピードが違う気がする。
そうなると、当該言語で数字を話そうとすると出てこなくなる。

数字と電話の聞き取りは外国語学習の最難関だと聞いたことがあるが、それにも頷ける。


62日目。