13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。断じてサイコロではない。

耳を塞ぐな、目を閉じるな。 100日ブログカウントダウンマラソン58日目

情報を選別できるということ、知りたいことだけ集められるということ。


巷には情報が溢れかえっている。


よく言われる言葉である。在り来たりでさえある。


だから、自分にとって本当に価値のある情報、信頼のおける情報を選別し、溢れかえる情報の中から使える情報を掴み取るべきだ。


これもよく耳にする主張だ。耳にタコができる程よく聞くくらいには。


最近テレビやネットでニュースアプリが紹介されているのを頻繁に見かけるようになった。

なんでも、「趣味や嗜好に合ったニュースを表示してくれる」とかなんとか。

別にそれを悪いことだとは思っていない。時間のない人に、興味のない記事を読む暇はなく、それで手間取らされるとするときっとイライラするだろう。

スポーツ好きな人はスポーツの話題を読みたいだろうし、旅行好きな人は旅行の情報を知りたいだろう。


自分の趣味嗜好によって得る情報が変わるのはよくあることだ。

ただ、最初から限定されるのはどうかと思う。
現代のネットワークとか、パソコンとかは賢い。仙崎なんかは到底敵わないほどに賢い。しかし、「馬鹿正直に賢い」のだ。

その人間の趣味嗜好を学習し(或いは事前にインプットし)、それに基づいた情報を提供出来る程度にはエラい。



だが、それが本当にタメになるのだろうか?
色々な分野・ジャンルの情報が与えられている中から自分で考えて情報を取捨選択するなら未だしも、最初から限定されていてはたまったもんじゃない。
自分で情報を取捨選択する能力がなまってしまうし、非常に偏った分野・ジャンル・知識のみの人間になってしまう。

タメになるどころか、ダメになってしまうのではあるまいか。



一番は自分で集め、自分で考え、自分で選ぶことだ。そして入ってくる情報を制限せずに、それでいて惑わされずにいることだ。確実に危ない情報は排除すべきだが。
自力で集められる情報に限りがあるとはいえ、インターネットなどがある、かなりの情報を手元で瞬時に吸収することができるだろう。


もし与えられる情報に限りがあるのであれば、それを出来る限り最初から制限したり、限定したりしないことである。

自分の趣味嗜好や興味のある分野に関係のない話や記事が何かの起爆剤となることは大いに有り得るし、そこから何かが始まることもあるかもしれない。


58日目。