13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。サイコロではない。

人類は「おふくろの味」を超えることが出来るか。 100日ブログカウントダウンマラソン54日目

おふくろの味を目指すのではなく、おふくろの味を超えろ。

「おふくろの味」というものがあるらしい。

 

まあ、どこにでもある「家庭の味」であり、どこにでもない「手料理の味」だ。

 

どうやら、世の嫁姑のバトルの一種目にもなっているようだ。

 

 

どの家庭にも多分一品くらいは、そういう我が家の味があるのだろう。

 

そう思っているのはもしかしたら料理を味わう側の発想であって、作る側からすればあんまり考えていないことなのかもしれない。他のこともこなしながら料理をするのはまあ大変なことである。

 

しかし、妙齢の女性からすればこれは一大事に発展しかねない問題である。

 

恋人、あるいは仲の良い異性に「なんか味が違う」と言われるとショックを受けたりするのかもしれない。

・・・そもそも料理を食べさせてもらっている時点で文句を言うなよ、というのが仙崎の些細な意見だ。そして、一人で作るより二人で作った方が絶対に美味しいと思う。・・・特に仲が良いのであれば。みなさん、料理は独り立ち人間の必須スキルになるかもしれませんぜ。カップルで一緒に料理作った方が「おふくろの味」論争するよりも楽しいかもしれませんぜ。

 

 

しかしこの「おふくろの味」、絶対世代を経るごとにちょっとずつ変わっていっているんじゃないかと思う。

 

一子相伝的に母親が一字一句、1ml1g違わぬように教えたらそうならないのかもしれないが、大体「見様見真似」、「味様味真似」で作ってしまうものである。それが不味ければ師匠に弟子入りすることもあるかもしれないが、不運にも(幸運にも)美味しかった場合そのデータが採用され、今後それが「新・おふくろの味」とかっていう風になったりするのかもしれない。

 

あとは時短製品の登場とか。昔は手で~とかいうのが、今はスイッチ1つ!!画期的。奇跡的なまでに画期的。

 

取り敢えず、そんなことで嫁姑冷戦とかが勃発している場合、妙齢の女性が打ちひしがれている場合は「おふくろの味」を目指すことよりも「おふくろの味」を超えることを目標に切磋琢磨、自己研鑽を進めていって欲しいと切に願う。

 

 

余談になるが、この「おふくろの味」というネーミング、どうにかならないのだろうか。

まるで「ふりかけ しゃけ味」みたいな感じだ。そのくせ、「ふりかけ おふくろの味」とかっていうのはない。(食品系のメーカーの皆様、これは新しい発想としてどうでしょうか?え?やっぱり駄目って?)

 

また、「おやじの味」は無いのか、と問いたい。(これこそ新しい発想として・・・以下略)

 

「家庭の味」や「おふくろの味」を超えたところに何が待っているのかは知らないが、自分はその先を見据えて料理(という名の大いなる試み)を続けていきたいと思う。

 

 

・・・もしかして、上二つを超えた境地が「レストラン」とか「食事処」の味なのだろうか?う~む、分からない。

 

ちなみにクッキングパパの創る料理は毎度美味しそうで憧れます。

 

背景画像を秋らしくしてみた54日目。