歳をとる、ということについて。
お久しぶりです、仙崎です。
どうにもやらねばならぬことが立て込んでいたため、中々ブログの更新ができませんでした。
更新が出来ないだけでなく、他の方の興味深い記事も読めず・・・。これから読んでいきたいと思います。
それでは、タイトルに書いたことについて。
二日前、歳をとった。
最近は、その感覚が短くなってきた。昔は一つ歳をとるまで、随分と長く感じられたものだった。
きっと昔はやるべきことが多かったからだろうと思われる。
一年ごとに覚えなければならないことや、身に付けなければならないこと、学んだことが多かったのだろう。
外見的な変化も「1年」を実感する良い要因だった。
背が伸びた、歯が抜けた、去年よりも速く走れるようになった、長く起きていられるようになった。
そうした「成長」からも「ああ、1年経ったのか」と実感できていた。
最近は、ここ5,6年ほどは、同じことを毎年繰り返しているというのが多い。
3年繰り返して、1年積み残しをやって、また繰り返して・・・
毎日に変わり映えを出そうとはしているものの、至って同じのような気がする。或いは、昔のように感動が少なくなったのかもしれない。・・・閾値が高くなったためか。ルーティーンと化しているからか。それとも、「成長」が感じられなくなったのか。
それではよくない、そう思った誕生日であった。
歳を経るならば、歳を経るからこその「何か」がなければ。
きっと学びが少なくなったのだろう。学ぶ内容が昔ほど多くはなけれど濃くなったのだろう。
それでもこのままではいけない。
1年を圧倒的なまでに長く感じられるように。
「成長」が自分でも感じられるようにしなければ。
殆ど焦燥のようなものである。
まだ20代前半ではあるが、このままどんどん1年が短くなっていくのは流石に嫌である。
「成長」が感じられれば1年が長く感じられるのか、それともその逆なのか。
1年が長く感じられれば「良い」のかは分からないが、今さしてやることも無いのであれば、「長い」1年にしようと思った。
以上、一つ歳を取った仙崎の考察でした。