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13面体の賽子

最後に決めるのは自分だ。サイコロではない。

歳をとる、ということについて。

 

 

お久しぶりです、仙崎です。

 

どうにもやらねばならぬことが立て込んでいたため、中々ブログの更新ができませんでした。

 

更新が出来ないだけでなく、他の方の興味深い記事も読めず・・・。これから読んでいきたいと思います。

 

 

それでは、タイトルに書いたことについて。

 

 

 

 

 

 

二日前、歳をとった。

 

最近は、その感覚が短くなってきた。昔は一つ歳をとるまで、随分と長く感じられたものだった。

 

 

 

きっと昔はやるべきことが多かったからだろうと思われる。

 

 

一年ごとに覚えなければならないことや、身に付けなければならないこと、学んだことが多かったのだろう。

 

外見的な変化も「1年」を実感する良い要因だった。

 

背が伸びた、歯が抜けた、去年よりも速く走れるようになった、長く起きていられるようになった。

 

そうした「成長」からも「ああ、1年経ったのか」と実感できていた。

 

 

 

最近は、ここ5,6年ほどは、同じことを毎年繰り返しているというのが多い。

 

 

3年繰り返して、1年積み残しをやって、また繰り返して・・・

 

 

毎日に変わり映えを出そうとはしているものの、至って同じのような気がする。或いは、昔のように感動が少なくなったのかもしれない。・・・閾値が高くなったためか。ルーティーンと化しているからか。それとも、「成長」が感じられなくなったのか。

 

 

 

それではよくない、そう思った誕生日であった。

 

歳を経るならば、歳を経るからこその「何か」がなければ。

 

 

きっと学びが少なくなったのだろう。学ぶ内容が昔ほど多くはなけれど濃くなったのだろう。

 

それでもこのままではいけない。

 

1年を圧倒的なまでに長く感じられるように。

 

「成長」が自分でも感じられるようにしなければ。

 

 

殆ど焦燥のようなものである。

 

 

まだ20代前半ではあるが、このままどんどん1年が短くなっていくのは流石に嫌である。

 

「成長」が感じられれば1年が長く感じられるのか、それともその逆なのか。

 

1年が長く感じられれば「良い」のかは分からないが、今さしてやることも無いのであれば、「長い」1年にしようと思った。

 

 

 

以上、一つ歳を取った仙崎の考察でした。